聖書の周辺世界を旅する(1)

心の友キリスト教会の前主任牧師であった佐藤元洋牧師は、イスラエルやその周辺世界で考古学の発掘のご経験があり、佐藤牧師が、心の友キリスト教会の広報誌「垂穂通信」に、かつて投稿された記事を紹介していきます。
記事を通して、イエス・キリストをはじめ、その弟子たちや、使徒パウロが生活し、訪ね歩いた聖書の世界を身近に感じていただければ幸いです。

                                         心の友キリスト教会 役員会

トルコへ

 分かっているようで分からないのが、聖書の周辺世界ではないだろうか。もちろん地図を広げて、ここからここまでと線引きするのも困難と思われる。そこで筆者は、聖書の周辺世界を次のように受け止めている。まず、右手の親指を地中海に、人差し指を黒海に、中指をカスピ海に、薬指をペルシャ湾に、最後に小指を紅海に入れて、ぐっと持ち上げた地域がそれである。そして、その手の平の部分に来るのがトルコ(共和国)ある。

 トルコは、アジア大陸の西端に位置し、小アジアともアナトリアとも呼ばれる半島部分とイスタンブールからエディルネ(アドリアノーブル)に至るバルカン半島東部(東トラキア)地方を含む日本の約2倍の面積の国である。北は黒海、南は地中海、シリア、イラクと国境を接し、東は標高5,165メートルのアール山(アララト山・旧約聖書創世記8章でノアの箱舟が流れ着いたと言われている)を中心とする高い山脈を境にアルメニア,イランと接している。その地形は極度に複雑で造山活動も活発で、東部地方にはしばしば地震が起こり、近年、日本からも多大な援助が送られたことでご存じの方も多いと思う。中央の高原地帯は標高2,400メートル前後で、海岸近くまで山が迫っており平野の占める部分は少ない。

 少年のころ、一度トルコを訪ねてみたいと思ってから、その夢が実現するまで、40年余りが経過していた。訪ねたかった理由は3つあった。
① ある意味でトルコは、東洋と西洋の文化の接点である。
② 初期のキリスト教、特にパウロの足跡がある。
③ 地理学と歴史を修めた父が語ることで少年のころ、夢を膨らませた国の一つがトルコであったこと。
 
 成田を出発してトルコのイスタンブールまで、約12時間15分で到着する。一番便利なのはトルコ航空で週2便出ている。
(2023年現在、毎日就航)

3月のある晴れ朝、トルコ航空0593便は成田を離陸。機首をシベリアへ向けて上昇を続けていた。

イスタンブール空港にて

 トルコ航空機は、成田を離陸するとあっという間に日本と日本海を横断し、シベリア上空に達した。座席に備え付けの地図を取り出して位置を確認する。機は、もうシベリアの広大なタイガ(針葉樹林帯)の上を飛行しているに違いないと思って、窓から下を見てみる。しかし雲海に遮られて何にも見えない。残念。仕方ないので地図を見ながら、かつて帝政ロシアの女帝エカテリーナに接見を求めてシベリアを馬そりで旅した大黒屋光大夫に思いを馳せていた…。
 機長の声に我に返った。眼下にバイカル湖が見えるという。高度が下がったためか雲の切れ目からバイカル湖とその向こうにタイガの一部が見え感動した。それにしてもシベリアは広い。やがて機はウラル山脈を越えた。2,000メートル近い山々が北から南に、シベリアの大地とロシアの大地を分けるように走っている。
 シベリアの鉄道とボルガ河が見えるとモスクワは近い。機長のアナウンスがあった。「当機は飛行禁止区域のモスクワの上空を避けて、迂回し、ウクライナ上空から黒海に沿って南下します。」と。
ウクライナの穀倉地帯を過ぎると黒海が見える。クリミア半島、そしてその向こうの山並みは黒海とカスピ海の間に横たわるコーカサス山脈だろう。機はオデッサ(オデーサ)上空に達した。オデッサと聞いてワクワクした。何度この街は推理小説の舞台になったことか。
 機はルーマニア,ブルガリアを過ぎたころ、着陸態勢に入った。眼下に、黒海とマルマラ海とエーゲ海をつなぐボスポラス海峡、マルマラ海とエーゲ海をつなぐダーダネルス海峡が見える。イスタンブールは近い。空港近くに来ると、どの国でもその国の匂いが機内に入って来て、「ああ、これがこの国の匂いか」と納得する。ところが、イスタンブールでは少し埃っぽいだけでルーマニアやブルガリアのそれとあまり変わらないのである。
 機はやがてすべるように着陸した。イスタンブール空港は近代的で立派な空港だった。

 空港到着後、まず行かなければならないのが空港内にある両替所である。後でその理由を知ることになるのだが、日本で円をトルコリラに替えることはおおよそ不可能である。さて、長い列に並んで両替の順番を待つ。一体、いくら両替したらいいのか。電卓を出して計算してみる。隣の旅行客も紙とボールペンを出して指を折りながら数えている。互いに顔を合わせてニッと笑う。イタリアからの青年で英語も堪能だった。早速情報交換が始まる。彼はイタリアでもリラを使うが、トルコリラとは関係ないこと、4人家族の中学の教師の平均月収が日本円で25,000円くらいであること、ドルはなるべく両替しない方が良いこと(いざというとき使える)等などを教えてくれた。私の方といえば、ついさっきインフォメーションで聞いてきたこと、すなわちトルコは大インフレであること、数時間毎にレートが大幅に変わること、民間の両替商の方が有利なことを教えた。結局、彼はイタリアリラで、私はドルを温存し円を替えた。そして滞在日数を計算し、前半分として50,000円を両替しようと思っていたのをとりあえず30,000リラとした。
 両替所の窓口で驚いた。目の前の札束は何ということだ。絶対に財布の中に入らない。紙幣そのものがバカでかい上に、全部新券で折り目など全くない。受領書にサインをして、皆がするように両替所の片隅でバックやポケットの中に人目につかぬようにしまい込んでみたものの後悔し始めていた。旅行の全行程でこのバカでかい札をポケットに詰めて歩かなければならないのか。トルコの人には大金だ。管理の方法を考えていたら哀れになった。両替など他でも出来ただろうに・・・。どうもスマートに物事をこなせない自分を発見して出口へと向かった。