聖書の周辺世界を旅する(3)

アヤソフィア

 その朝、トプカプ宮殿の隣に建つアヤソフィアは赤茶色の壁を強い日差しに照らされて輝いていた。アヤソフィア、ビザンチン建築の白眉である。目の当たりにし胸のときめきを覚える。
 325年、コンスタンティヌス大帝が神の智ハギア・ソフィアに捧げる最初の聖堂を建てたのがアヤソフィアの始まりである。その後、何度か地震や火災で喪失したものの、ユスチニアス皇帝の時、現在の建物ができたと解説書に記されている。
395年にローマ帝国が東西に分裂してからは東ローマ帝国時代のギリシャ正教大本山がアヤソフィアであった。当時最大級の建物であり直径31メートルの大ドームの円屋根はロードス島で焼かれた軽いレンガであり、高さ54メートルは比類ない。青い柱と呼ばれる6本のコラム(円柱)はギリシャ様式で、アテネやエフェソスから運ばれてきたものである。内部には数多くのモザイク画が残されている。しかし1453年オスマン・トルコ軍によりコンスタンティノープルが陥落するとアヤソフィアはイスラム教のモスク(寺院)とされ、ミナレットやミヒラーム(メッカの方角につけられた壁のくぼみ)が加えられ、すべてのモザイクは漆喰で塗りこめられてしまった。1931年アメリカの調査隊が壁の中のモザイク画を発見し、再び脚光を浴びることになった。
 中でもキリスト像や聖母マリヤとキリストは一見に値する。キリストの顔はいわゆる西洋のものとは違い本物はこのような顔であったかもと思わせる。聖家族のモザイクには必ずイエスの兄弟ヨハネが、また端の方にはパウロが描かれている。ローマのバチカンにあるようなペテロの像は全く無いか、あっても壁の反対側に実に小さく描かれている。東方教会ではペテロの権威が認められていなかったためであろうか。アヤソフィアは今、博物館になっていた。(2020年7月現在、再びモスク化されている。)
アヤソフィア – Wikipedia

ジャミイ

 イスタンブールにはいったいいくつのジャミイ(モスク=イスラム寺院)があるだろうか。それそれ趣があるがとても全部は訪問できない。ここでは見学のおすすめの3か所だけ取り上げてみたいと思います。

エユップ・スルタン・ジャミイ

 金角湾の比較的奥に位置するこのモスクは、ガラタ橋下のエミノニュからフェリーかバスを利用するのが便利と教えられ、フェリーで行ってみました。1458年の建立というからメフット2世(マホメット2世)がコンスタンティノープルを陥し東ローマ帝国が滅亡した5年後であり、数あるジャミイの中でも古いもののひとつである。エユップは聖戦で殉死したマホメットの旗手であった人の名に因んでいる。このモスクを見下ろす丘へモスク近くの修道院脇から登っていくと実に美しい景色を眼下に見ることになる。最近は女性の参拝者が多く、メッカ、エルサレムに次ぐ第三の聖地になっているということであった。
https://gotrip.jp/2020/05/125021/

スレイマニエ・ジャミイ

 イスタンブール大学の隣に聳えるのがこのジャミイである。スレイマン大帝(1520~1566)が1557年、トルコ最高の建築家ミマル・スィナンに命じて造らせたモスクで59メートルx58メートルの床面、47メートルの円屋根をのせた広大なものである。内部から見たステンドグラスは実に美しい。偶像礼拝を禁じたイスラム教らしく、そこにはアラビア文字、チューリップ、カーネーション、ヒアシンス等、トルコの国花が描かれている。また、床には2400枚の絨毯がミヒラップ(メッカの方角を示す)の形をしているのは見事である。オスマン帝国200年繁栄の基を築き「法の人」と呼ばれることを好み、ラテン語の手紙を書いた教養人スレイマンを彷彿させる造りである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF

スルタン・アフメト・ジャミイ

 オスマン帝国が最強を誇った1616年にスルタン・アフメト1世により建てられたモスクで、内壁が青を基調としたタイルで飾られているところから欧米人に「ブルーモスク」と呼ばれている。広々とした庭、6本のミナレット、4つの副ドームがあるのに柱が1本もないなど、独特な建築様式である。中でも、聖なる色である緑のじゅうたんはエチオピア製である。夜空にライトアップされたこのモスクは見事で、夜9時から30分間は特別タイムである。
https://torukotabibu.com/sultanahmet/