キリスト教あれこれ(4)

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ミッション

最近、外来語いわゆるカタカナ語が氾濫している。その大部分を英語が占めているのだが、「メセナ(企業の見返りを求めない芸術文化支援事業)」などの仏語もある。このカタカナ外来語の正しい意味を知らずに当惑した経験を持った人も少なくないであろう。
 企業活動の中でよく使われるのが「ミッション」である。国語研究所はこの語を政治経済の用語として「使節団」「使命」と言い換えている。
 歴史的に我が国でこの「ミッション」が一番先に用いられたのはキリスト教界であった。
キリスト教界では「ミッション」という言葉を「宣教使命」と訳し、神からこの世に派遣されている教会の使命全体を意味している。伝道はその使命の中で中心的内容であった。
 「ミッション」はラテン語の「ミッシオ」から来ている。「ミッシオ」の原意は「一定の任務を負って遣わされること」であることから、この語は派遣、発送、伝道、使命と訳され、動詞形では送る、発する、ある人に知らせる、報知する、書き送るなどの意味がある。しかし、この「ミッシオ」も新約聖書がギリシャ語からラテン語に訳されたときギリシャ語の「アポステレイン(名詞形で『遣い又は代理人として送り出される』の意)」の訳語として使用されたのである。現在では「宣教」という用語がこれら上記と同意味に用いられている。
 キリスト教宣教の根源はイエス・キリストが父である神から派遣され、世の救いのために使命を遂行したことにある。さらに、そのイエスは彼の12人の弟子たちを自分の救いの業に協力させるために派遣して福音を宣教させているのである。そしてそれを受け継いだのがキリスト教会である。
 その宣教の業を端的に現したのがR.ジョフィ監督による1986年の英国の映画「The Misson」である。1585年以降、未知未信の人々へ布教するため南米に派遣されたイエズス会のミッションが、1767年にスペイン人入植者の圧力によって追放された実話に基づいて、南米での困難な宣教活動を行うミッションの姿が描かれていた。
 キリスト教のミッションも政治経済のミッションも大きな困難の後に大きな成果が伴うのであろう。

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