聖書の周辺世界を旅する(6)

 イスタンブールからトルコの首都アンカラへ向かう前日、先に見学できなかったイスラム時代とビザンチン時代の二つの見どころをどうしても見たいと思って、新市街にあるホテルの前からタクシーを拾って、旧市街のアクサライ=イヤズット地区へ行き、グランドバザールの前でタクシーを降りた。手元の市街図を頼りにグランドバザール入り口の通りを北に向かって歩き出すとすぐイスタンブール大学を左手に見る。以前その著書をいただいた同大学のフイールヤ博士を研究室に訪ねようと時計を見たが時間がない。「3日前に会ったからいいや」と思い直し、さらに北へ向かって4,5分歩くとシユレイマニエ・ジャミィ(寺院)になる。これが今日の目的の一つである。
 オスマン・トルコ最盛期に君臨したシュレイマン大帝の造らせた大寺院であり、その姿は旧市街のどこからでも見える。高さ52メートル、床面積59メートルx58メートル、直径47メートルの円形屋根をのせ、4本のミナレット(塔)を持ち、基部には32の窓を持つトルコ最高に技術で建てられたものである。内部の装飾は実に見事であった。しばし見とれた後、シュレイマン通りを西に戻りさらにヴァレンス水道橋を目指した。
 旧市街のアタチュルク大通りをまたぐように造られたこの水道橋はキリスト教をローマ帝国の国教と定めたコンスタンチィヌス帝により着工。378年に完成したもので、その水はイェレバタン貯水場にひかれ、後にトプカプ宮殿でも使用されたという。このイェレバタン(トルコ語で「地に沈んだ」の意)、サライ(地下宮殿)が第2の目的地である。フランスの考古学者が発見するまで誰も気づかずにいたこのシスターン(地下大貯水池)は縦140メートル、横70メートル、高さ8メートルで約360本のコリント様式の柱に支えられている。その彫刻は実に素晴らしい。舟で中を周遊すると淡い光に照らされて一番奥にメンドウサの首が逆さに建っていて、髪の毛は蛇、見た者をたちどころに石にしてしまう力をまだ秘めているようである。かつてこの水はビサンチンに住む人々の喉を潤すに十分な水を貯えていたのだろう。それにしても大きい。
 帰りの車の中で、予定していたもの全てを見学して満足している自分に愉快さを覚えていた。

イスタンブールのアタチュルク国際空港から首都アンカラのエセボア国際空港に向かうトルコ航空137便の17列F席に座り、出発前の時間をぼんやりしていた。窓側のこの席にはさっきから強い太陽光がさしていた。窓から見える空港の景色は、たぶん世界中のどの空港でも見られるあわただしさに満ちていた。
 アンカラまではアナトリア高原の西へ約458キロメートル、約1時間のフライトである。実は、旅の計画を練っていた時この区間をどの交通機関にするかいろいろ考えた。それはトルコ国内でイスタンブール、イズミール間と同様、一番交通の便利さを誇るこの区間でアナトリアの大地を楽しみたいと思ったからである。そこでまず思い当ったのはトルコ国鉄TCDDである。約7時間20分の行程で運賃は普通乗車券約1000円と急行券代である。列車の窓から見たアナトリアの大地はさぞ雄大であろう。しかし、この案は2つの理由で中止になった。第一の理由は、イスタンブールには2つの駅(ヨーロッパ側にありアテネやミュンヘンに通じるシルケジ駅、アンカラ・イズミール等のアナトリア大地を走る列車の出るハイダルパシャ駅)があり、我々の宿泊したホテルからハイダルパシャ駅へ行くにはボスポラス海峡を渡ってアジア側まで、文字通り「小旅行」をしなければならないこと。そして第二に出発時刻が不正確で(トーマス・クックの時刻表はアテにならない)、駅に問い合わせても「その日の朝に切符売り窓口に貼り出す」とのことで、旅行者にははなはだ不親切であった。
 トルコ人にもポピュラーで、一日50本は出ているのがバス便で、アンカラまで約7時間半、費用は1000円である。これに決めかかったとき、異論が出た。バス酔いである。残念であるが、紳士たるものご婦人方の申し出に逆らうことはできぬ。結局1,187,200トルコリラを払って、またまたトルコ航空の厄介になることになったのだ。
 翼を銀色に輝かせ舞い上がった機から雄大なアナトリアの大地が黒く広がていた。