アンカラ
トルコの首都アンカラは思いの外モダンな都市であり、1923年の共和国誕生の時わずか6 万人だった地方都市は今では人口360万を数えるトルコ第二の都市になっている。しかしその歴史は新石器時代に始まり、ローマ時代に一躍繁栄したと言われている。
アンカラはアンキュラ(谷底の意)に由来しており、古くから地下水が豊富だったことが都市の発展に大きく寄与している。アンカラは大別すると二つの地区に分かれている。旧市街地はウルス地区といい、そこには名所旧跡の大部分に加えて廉価な宿やレストランが多い。他方クズライ地区は新市街地を構成しておりアタチュルク廟や国会議事堂等がある。市内交通はどの地域へもバス、トローリバス、タクシー、ドルムシュ(乗合タクシー) が便利であり、中でもタクシーが一番である。 アンカラ駅を出てゲンチリッキ公園(青年公園)前の通りを左に行き、トルコ航空ビルの前を過ぎるとじき、オトガル(バスターミナル)に出る。そこでタクシーを拾うとだいたい遠回りせず目的地へ連れて行ってくれる。
すばらしい晴天にめぐまれたある日、チャーターしたバスがあったにもかかわらず、それを午後に回してもらいウルス地区をぶらぶら歩いてみることにした。なんといっても基点はわかりやすいアンカラ駅である。ホテルから駅までタクシーに乗り、そこから歩こうというわけである。
駅から前述の公園前の通りを、今度は右へ行ってアタチュルク通りを左に折れ、オペラハウスの前を通って先へ進むとやがて右手に立派なアタチュルク(建国の父ムスタフア・ケマル・パシャ)像が見える。彼はまだ日本と正式な国交のない時分のオスマントルコ陸軍士官学校で日本人教師から日本語を習い、少しは日本語を理解したと言われている。もう少し行くと今度は右の奥まった所に「ユリアヌス帝の柱」がある。作家の辻邦生が『背教者ュリアヌス』を書いて広く知られるようになった4世紀のローマ帝国皇帝ュリアヌスである。362年に彼がアンカラを通過した時の記念である。彼はキリスト教国になってからのローマの皇帝であったが、キリスト教を受け入れず、異教的多神崇拝にし、その傾向にあったアンカラの住民に熱狂的に歓迎されたと伝えられている。「ユリアヌス帝の柱」は一般にベルキス・ミナレットとかシバの女王の柱と呼ばれており、高さ15mでアウグストウス神殿の隣に立っている。ビザンティン風の柱頭に特色がある。
アナトリア文明博物館
さて、アンカラで絶対に見逃せないアナトリア文明博物館を紹介しよう。鉄器で有名なヒッタイト文化に関する世界最大のコレクションを展示している。この博物館はアンカラ考古学博物館又は単に考古学博物館とかヒッタイト博物館とか呼ばれている。考古学に興味がなくても、アナトリアの歴史と美術という観点からの見学も有意義である。入場料わずか25000トルコリラ( 250円)で十分アナトリア各地に栄えた文化の証しを一堂にして目にすることができる。
まず、建物がユニークである。メフメット2世の宰相を務めたマフトパシセの建てた屋根付バザールと彼の後継者が建てたキャラバン・サライ(隊商宿)の二つの建物を結合させ改修して博物館にしたもので、10のドーム屋根に覆われたオスマントルコ風の雰囲気が漂っている。順路に従ってアナトリアの歴史を年代順に見学できるように設計されており、①旧石器時代、②新石器時代、③銅石器時代、④青銅器時代、⑤アッシリア植民地時代、⑥古ヒッタイト時代、⑦ヒッタイト帝国時代、⑧新ヒッタイト時代、⑨フリギア、⑩古典期(ギリシャ・ローマ時代)と並んでいる(訪問当時)。順を追ってすぐ気づくことは、規模はそれほど大きくはないと思いつつも展示物は非常に豊富なことである。粘土板文書、器、金銀製品、ヒッタイトの太陽の円板、青い貴石ラピ・ラズリ等々実に目を奪われる。人類最大といわれるBC 6500 ~ BC 5600ころの家屋の復元。最近とみに学者たちの注意を引き始めたアッシリア北辺の王国ウラルトウの遺跡( BC9世紀頃のもの)などはその道に興味を持つものにとってはこたえられない物ばかりである。思わず時の経つのも忘れてしまうくらい魅せられてしまった。
アナトリア文明博物館の見どころ解説!アンカラで外せない観光名所 | ターキッシュ・カルチャークラブ (worldclub.jp)