サルキー犬のこと
首都アンカラからバスで4時間程下るとアナトリアの商業都市カイセリに到着する。その日、我々はカッパドキアに向かう途中、この町の郊外のレストランで昼食をとることになっていた。
バスは順調に走り、広いアナトリア高原とそれを背景にいくつもの羊飼いと羊のグループとすれちがい、追い越した。
昼食の最後のコーヒーを飲み千した頃、数十頭の羊をつれた羊飼いが水を求めてやって来た。ぼんやり眺めていると太陽をバックに何か黒い影が走り去るのが見えた。ほんの少し間をおいて頭を過ぎったのはあの犬のことだった。早速通訳のフィーリアさんを急き立てて支払いも早々に外に出た。急いで老羊飼いのもとに行き、通訳を介して「あれは何ですか」と犬を指してたずねた。答えは「キョベッキ (犬)だ」と。おっと質問がまずかった。「あれは何犬か」と聞いた。答えは「羊の番犬だ」。そして犬の名前を言った(と思う)が聞きとれなかった。実は、筆者は「サルーキー」という答えを期待していたのだ。そこでもう一度羊飼いに聞いた。「この犬は何か芸をするか。例えば『待て』とか。」「いやこの犬はそんな芸は教えてもしない。そんなことよりオレの羊のことを聞いてくれよ。自慢なんだから。」
やつばりそうだ。このグレイハウンド(アメリカ横断バスの側面に描かれている犬で有名)によく似た(少し小型にした)犬がサルーキーと呼ばれる犬だ。この羊飼いの犬はまさにその血統上にあることは間違いない。
サルーキー犬は紀元前700年頃よりシーブドッグとして人に飼われ、中近東はエジプトからアフガニスタンまで拡がった犬である。人にはなかなかなじまないし、「お手」「おすわり」の類の芸は一切しない。気位が高いのである。人と犬は対等と考えるこの犬は全て飼い主の意図を感じ取って行動するのである。走っても疲れを知らない。最初の900 メートルはグレイハウンドに負けるが、後はサルーキーのものである。犬小屋もいらない。暑さ寒さを防ぐため飼い主の居る近くで地に穴を掘って住む。いたって健康で、走ることが大好きで持久力は抜群である。しかし近年、中近東でもこの犬は少なくなったと聞いていた。それは産道が狭く、出産時に死亡する母犬が多いためだそうだ。
犬に「よし、よし」と声をかけて近寄ったが全く視された。それでも初めて目の当たりにしたサルーキー犬に興奮していた。
エルジェスの山
サルーキー大と出会った町カイセリはトルコの首都アンカラから約380キロメートル、バスで約4時間である。絨毯の産地、また金属工芸の産業として有名なアナトリアの商業都市は海抜1 , 000メートル 以上に位置している。ローマ時代にはカッパドキア州の行政府が置かれていて、カイセリの名はローマの皇帝ティベリウスがこの町をカエサリア(「皇帝の町」の意)と呼んだことに因んでいる。早くからキリスト教の伝来のあった町である。(それはそうと・・。)
この町の美しさは山にある。地中海に迫り出したトロス山脈を北に向かって指でなぞっていくとやがてエルジェス山に突き当たる。カイセリはその山の麓の町なのである。このトルコ中央の高原地帯は標高2,400メートル前後あるものの、この山は高い。
トルコには富士山よりも高い山が4つある。最も高いのはアララット山( 5,122 メートル )であり、創世記にある「ノアの箱舟」の流れ着いた所とされている。トルコの人々はこの山をアールダアと親しみを込めて呼ぶ。ダアは山を意味する。 3番目に高い山がエルジェス山( 3,916メートル )である。どの山も万年雪を冠した姿は実に美しい。アララット山は登山にはなかなか難しいといわれているが、エルジェス山の方は人を招いて登るよう誘っているように思える山である。 エルジェス山は、古代にはアルゲウス山と呼ばれ火山であった。しかし現在は火山活動をアララット山同様、休止している。もっともアララット山は大小2峰からなり、主峰の大アララット山は休火山で、小アララット山は死火山である。アララット山の北側には氷河が見られるということだが、エルジェス山には氷河は見られない由。「土地の人から聞いた話では、雪質が非常に良く最近ではトルコ有数のスキーリゾート地として人気を集めているそうです」と通訳のフィーリアさんが教えてくれた。
カッパドキアに向かう途中の我々にはサルーキー犬と、レストランの焼きたてのパンと共にエルジェスの山の町としてカイセリは心に焼き付いている。
あと1時間半程でカッパドキアである。