キリスト教あれこれ(10)

復活を信じた男

イエス・キリストが十字架に架けられた時、イエスの弟子たちはイエスの仲間と見られて自分に災いが降りかかるのを恐れ、みな逃げて鳴りを潜めてしまった。ところが、イエス復活のニュースを聴き復活のイエスに出会うと理由は如何にあれ、それを信じ、もはや恐れることなく福音を伝え殉教にいたるまでそれをやめなかった弟子たちの様子を新約聖書は伝えている。
復活信仰が彼らの人生を変えたのである。

しかし、それは2000年以上も前の出来事に限ったことではない。
北海道のある教会にWさんという人がいた。Wさんは、貧しさゆえに遅れて入った小学校も2年でやめて10か11歳の時、文字通り北海道に流れて来たのであった。網元に拾われて漁師となり、苦労して20代に舟を手に入れやっと独り立ちできたという。その頃、その教会の牧師で山鹿素行の末裔だった山鹿基次郎牧師の伝道説教を聞き、
「このわだしのためにキリストは十字架に架かって下さった。復活を信じなくて何を信じる」
と言って、洗礼を受けたのは1903 (明治36 )年であった。
 以来、早朝の漁を終えると日曜日は朝の礼拝とタ拝に、木曜日には夜の聖書研究会と祈祷会に、そして笑われながら漁師仲間に伝道を開始した。そのメッセージはいつもひとつ
「キリスト様はこのわだしのために十字架に架かって下った。そしてわだしは復活を信じる。」
であったという。漁師やその家族が教会に来ていたのはWさんの祈りの賜物であったのだ。
 当時、その教会は組会が中心で1915 (大正 4 )年Wさんは第3組の世話役(組長)に選ばれた。そして1960 (昭和35 )年に天に召されるまで46年間もその任にあった。その間、教会の建築のために大奔走し、大戦中は人々が「特高」を恐れて教会から足が遠のく中でも教会と礼拝を守って孤軍奮闘したと聞いた。しかし、Wさんにとって最大の問題はその識字力にあった。ある時、彼は
「キリスト様がわだしのために十字架に架かったその話を聖書でじかに読みたい」
といって、字を学び、ついに聖書が読めるようになった。
 Wさんは晩年何度も役員になることを辞退した。しかし、選挙になると必ず選ばれるのである。Wさんは真に教会の重鎮であった。教会のため、伝道のため、人々のため彼は祈った。その祈りの初めは決まって
「キリスト様はわだしのため・・・・」であった。
いつも静かに座っておられた。あたかもあの預言者エレミヤの言葉「もし、あなたが軽率な言葉を吐かず熟慮して語るなら私はあなたを私のロとする」( エレミヤ書15 : 19 )を自分に言い聞かせているかの如くにであった。