キリスト教あれこれ(11):最終回

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父の日

 6月の第3日曜日は父の日であるが、母の日が近年多くの人々によって感謝されているのに比べると、ほとんど無視されている状態にある。父の日の起源も母の日の後塵を拝しているし、母の日が教会から始められたことを考えると父の日は必ずしも教会が背景にあったとは言いがたいのである。
 母の日があるのに、父に感謝する日がないのは不公平だというので、1940年アメリカのジョン・プルース・ドット夫人の提唱により始まったと一般には伝えられているが、調へてみるとそれよりもずっと古い1910年(明治 43年・母の日が始まった2年後)に同じ理由で、ニューヨークに「全米父の日委員会」が作られ、その委員会を中心に父の日が広まっていったようである。日本にこの習慣が入ったのは1950年(昭和25年)ころであるという。
 いずれにしてもこの日は父を慰労し、称える日、そして父の愛に感謝する日として、アメリカやカナダでは母の日にカーネーションを贈るのに対して、バラの花を贈ったり、飾ったりしている様である。とはいえ、実際のところ高価な贈り物などはもとより、心のこもった感謝の言葉すらもらえない父たちがこの世には多いのではないだろうか。

このこととは別に、聖書の中にも神を父と呼ぶ場合が多出している。しかし、こちらの方は父といっても人間の親子関係から推測される血族的な関係を表わすのではなく、「契約」に基づいて父がその子に対するように神の特別な愛による人間との関係を表わしている。
 神を父と呼んでいる箇所を概観してみると
 ①父・祖父・父祖を指す、
 ②都市の住民の先祖または長を指す、
 ③父親のような愛と知恵を持って他人に対するもの、あるいは権威ある教師に与えられる名誉ある称号をさす、
 ④人類の創造者なる神、信仰者を導かれる神を指す、
 ⑤イエスとの関係においてのみ神が父と呼ばれる、
に分けられる。
 旧約聖書で神を父と呼ぶ場合には、創造者、贖い主、指導者、尊敬すべき者としてイスラェル民族全体の父という意味であった。更にこれは与えられた律法が守られる場合のみ、その父子関係が維持されるという義務を伴うものであった。
 新約聖書にも父としての神の用例は数多い。イエスは神を父と呼び、父なる神との特別な関係を示し、祈りによって神(父)の御心を知り、その地上における業を全うされた。そして、イエスが人間の罪のために十字架上で死んだことと、その復活を通じて人間は真に神を父と呼ぶことが出来るのである。イエス・キリストは信仰者に対して主の祈りの中で神への呼称に「父よ」と教え、それ故に信仰者は「アッパ(へプライ語で幼児が父を呼ぶ呼び名)父よ」と祈ることが出来る、と示している。
この神への呼称から父・子・聖霊という三位一体という用語が生まれて来るのである。
世の父に祝福あれ!

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