教会の紹介

信仰告白

心の友キリスト教会では日本基督教団の「使徒信条」をもって信仰告白いたします。

我は天地の造りぬし、全能の父なる神を信ず。我はそのひと、我らの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女をとめマリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府よみにくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天にのぼり、全能の父なる神の右にしたまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とをさばきたまはん。
我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体からだのよみがへり、永遠とこしへ生命いのちを信ず。
                                                  アーメン

教会の歴史

心の友キリスト教会の始まりは、初代牧師草間信雄先生の自宅に、先生と二人の婦人で礼拝を守ったことにあります。それは1965年12月5日(日)のことでした。その日は、クリスマスを迎える準備に入った初日(教会暦では待降節・アドベント)でした。

 それより少し前、草間牧師と親交があった、そして後に当教会の会員にもなられた呂敏謙氏の好意で草間牧師の自宅(呂氏の持ち家)を改造して中にチャペルを造り、礼拝や他の教会活動に必要な折りたたみ椅子、謄写用具一式、電気オルガン等を備えて下さったことが教会設立の大きな力となりました。

 この3名で守った最初の礼拝は、「心の友教会」(当初はそう呼んでいた)の開所礼拝でもありました。場所は東京杉並区和泉の住宅地のはずれにありました。

 「心の友教会」の名を示唆したのは呂氏本人でした。それは、当時草間先生がラジオ伝道やテレビ伝道の牧師をしており、その番組の呼称が「心の友」アワーだったことにヒントがあったようです。最初の20年間で約60名の方々がこの教会で礼拝を守ったことになります。

 最初の10年間に草間牧師と共に伝道活動に従事した先輩たちの思いは年代によって3つに分類できるように思います。壮年会:新約聖書へブル人への手紙11章1節「それ信仰は望むところを確信し、見ぬものをまこととするなり」(文語訳)を掲げ、これが教会設立の基であると考え、伝道と教会活動の中心に据えていたことです。婦人会:草間牧師がかつて北海道の函館教会の牧師だった時代からのつながりで集ってきた方々が多かったため、そのつながりを重視してその頃からの友人・知人と家族を誘う伝道活動でした。青年会:当時日本中の若者を揺るがせた学園紛争を教会には持ち込まず、自分たちの信仰の中心に「つぶやかず」(No murmur)「不平(ぐち)を言わず」(No complain)「言い訳せず」(No explain)をモットーとして、他者を考え、人間を考え、世界を考える仲間を増やすよう行動で示すことに重点を置いていたようです。彼らの生き方は草間牧師の信仰的生き方から学んだものでした。

 佐藤元洋牧師が2代目牧師として心の友教会に仕えるようになったのは1979年の草間牧師の他界後でした。それ以前の数年は協力教師として礼拝に出席し、また牧師不在の折に説教を担当していました。佐藤牧師の在任最初の5年は、牧師交替によく起る戸惑いの期間でした。しかしそれは教会の充実期でもありました。佐藤牧師が主眼を置いた点は礼拝の充実、教会教育の構築、教会グループのリーダー養成、教会組織の充実、教会会計帳簿の見直し等に加えて、教会員一人一人が教会の責任を負うキリスト者としての自覚を促すことにありました。

 しかし、草間牧師他界後、奥様お子様方が米国に移住することになり、草間牧師の自宅にあった礼拝堂も必然的に使用不可能になり、近くに建物を借りて礼拝を守ることになりました。更に2回の転居を経て、次の家賃更新の折金額が折り合わず、教会は礼拝場所を失うことになったのです。この間は一種の世代交替の時期でもありました。

佐藤牧師は総会で教会解散も視野に事情を説明し、その結果他の教会への転会申し出もありましたが、残ったメンバーは15名程でした。その方々と共にそれから約2年間、佐藤牧師の自宅で礼拝を守りました。

 1999年、15名の中から新しく教会堂建築の話が持ち上がり、すぐ四方八方土地探しを始め、やっと現在の地に土地が与えられ、ミサワホームが初めて建てた教会堂を持つことが出来ました。2001年7月1日に日本キリスト教団大島教会相沢良一牧師をお迎えして献堂式を行い、以後教会活動の充実、教会規則の制定、地域への伝道活動、海外の恵まれない子供たちへの教育支援等を中心に活動をしてきました。教会名は伝統を生かし、「心の友キリスト教会」となり、そのモットーは「高齢者を覚える教会」です。

 こうした教会の過去を尋ねてみますと、教会の維持と宣教の業を継承して主に仕えた牧師、主のため、教会のために尽くした多くの熱心な人々のあったことを忘れることができません。また信仰の先達の奉仕を継承し、明日の教会の進展を目指して思いを新たにしなければならないと考えています。先に述べたヘブライ人への手紙11章1節は、今目前にある事柄だけに一喜一憂し、時には信仰の道筋を踏み外すようなことがあっても、まことの信仰者は、目に見えない神の働きによって御言葉が実現することを確信して揺るがないことを教えている聖句です。

心の友キリスト教会の歴史は50余りを数えます。年間、この教会で共に礼拝を守り教会活動に参加された方々は120名を数えます。これは歴史です。しかし私たちは歴史を踏まえた上で更に大きな希望を持っています。そしてそのことは今しなければならないことをよく認識し、歴史に遡ってもう一度考え、そこから希望を確かなものとして歩みを続けて行くことだと考えています。「希望は歴史よりも遙かに偉大である」 然り。アーメン。